Wikipedia:井戸端

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また加筆大会しませんか?[編集]

私先日個人的に中国語版ウィキペディアを見てきたところ、中国語版には「動員令」なる執筆大会(?加筆大会?)みたいなシステムがあるみたいです。まあなんともネーミングセンスが中国らしいといえばそうなのですが。またベトナム語でも同様のイベントが行われているようです(まあおそらく全世界の言語版でやってると思いますが…)。

さて、今回はラグビーW杯が(投稿現時点で)開催中、また2020年東京五輪を翌年に控えていることもあるので、「執筆・加筆オリンピック」というネーミングを考えています。といっても、前回から見ても3年、定期的に行われていた頃からだと実に8年も経過しています。自分も一度はこういうイベントに参加したいと思っていましたが、なかなか機会がありませんでした(アジア月間もありますけど)。

今回のイベントの趣旨としては、

  • 国ごとでの対抗戦(日本を含めるかは要考慮)
    • 台湾、香港なども1つの国(地域)としてカウント(概ねオリンピックに単独で選手団を送るレベルの地域であれば単独扱い)。
  • 国に関する記事を1本執筆・加筆するごとに1ポイント(か、1000バイトで1ポイントか?)
    • 最低限スタブから脱せるレベルの記事量にすること。概ね1000バイト以上(新規執筆は3000バイト以上)を目途とするが、Infoboxの追加のみなどはカウントせず、あくまで文章による解説の詳細を追記し、記事説明の一助となる加筆の方向性が望ましい
    • もちろん、一人が2つ以上の国の記事を執筆してもよい。
    • 複数国にまたがる記事については要考慮(ex:A国とB国の国際関係)。また欧州連合みたいな記事についてはノーカウント(「欧州連合」などの単位で国扱いするかどうかも要考慮)。
  • 期間は1ヶ月以上(10月では急すぎる、11月はアジア月間と被る可能性があるので12月か?)。いっそ半年とかやっても面白いかもしれないけど、ダレそうな気もする。
  • 「競技別」みたいな意味で、「地理部門」「歴史部門」「人物部門」なども設ける(どこまで細分化するかも要考慮)
  • もっとも執筆・加筆された国と、した投稿者は表彰される
  • イデオロギー等に囚われず、みんなで楽しみましょう

という感じで考えています。どうでしょうか?--Newkaisoku1995会話) 2019年9月20日 (金) 12:16 (UTC)

    • (反対)ウィキペディアは中立をモットーにしており、そのために広告も掲載されていません。「オリンピック」のような、特定の機関が行う行事を真似たものはウィキペディアとして不適切かと思います。やるのであれば前回の加筆大会のように分野を問わない加筆大会がよいかと思います。--Reiwa period会話) 2019年9月20日 (金) 13:18 (UTC)
    • なるほど。そういえばそうでしたね。それならば分野を問わないということで。--Newkaisoku1995会話) 2019年9月21日 (土) 00:21 (UTC)
  • (提案)特に反対がなければ、11月1日をめどに利用者:Reiwa period/sandbox3Wikipedia:第2回加筆大会に移動し、ウィキペディアアジア月間と被らない12月1日から12月31日まで開催の方向でいきたいと思います。引き続きご意見よろしくお願いします。--Reiwa period会話) 2019年9月26日 (木) 09:00 (UTC)
    • (賛成)特に問題ないかと思います。私の考えとしても個人的にどの記事を強化するかは勝手として、とにかく出典を強化して読みごたえのある記事を増やす、ということに変わりはありませんので。--Newkaisoku1995会話) 2019年9月27日 (金) 10:21 (UTC)
    • (賛成)良いと思います。オリンピックと銘打ってあえて国別に分ける必要はないでしょう。--Bonfire12会話 / 履歴〕 2019年9月28日 (土) 23:21 (UTC)
  • (報告)私は現実世界にて多忙になるため、勝手ながら明日からウィキブレイクを取らせていただきます。上でWikipedia:第2回加筆大会を作成すると宣言した11月1日までには復帰できると思いますが、私がいない間は私抜きで議論を進めていただいてかまいません。--Reiwa period会話) 2019年9月30日 (月) 13:11 (UTC)

「Category:消息不明」となった人物について[編集]

Category:消息不明となった人物を見て思ったのですが。手塚勝巳氏や松谷紀代子氏といった俳優、あるいは黒澤あらら氏や若菜瀬奈氏といったAV関係者もカテゴライズされています。こういう職業の方は引退したり業界を去る際にひっそりと…という事例が少なくないのではないでしょうか? 芸能関係では悦ちゃん (子役)もカテゴライズされていますが、この方など戦前の方であり、引退後の資料など見つからないと思います。これらの方のような場合を含めると、このカテゴリは膨大な数になると思います。数に関しては分割(子カテゴリの作成)でカバー出来るかもしれませんが、本質的に運用が違う気がします。--210.254.80.98 2019年9月21日 (土) 20:52 (UTC)

そう言えば以前、見直しが必要という話があったけど全く進んでいませんね。英語版を参考にすればカテゴライズを見直せるかもしれません。--Marine-Bluetalkcontribsmail 2019年9月22日 (日) 09:21 (UTC)
  • 改めてこのカテゴリを見てみると、事件や事故に巻き込まれた人物から、引退したスポーツ選手、発表していないが引退したと思われる芸能人、長期間作品を発表していない作家、はては逃亡犯(坂東國男)や歴史上の人物(出雲阿国)まで様々な人物がカテゴライズされていて、「消息不明」を拡大解釈しているふしがあります。英語版ではen:Category:Missing people(行方不明者)の関連カテゴリとしてen:Category:Possibly living people(おそらく生きている人…90歳以上で10年以上情報がない)およびen:Forced disappearances(拉致された人?)があり、さらに1904年以前生まれで死亡年が分からない人についてはen:Category:Year of death unknown(没年不明)に変更するように指示されています。一方、日本語版の場合はCategory:消息不明となった人物Category:没年不明が同時にカテゴライズされている人物が多くいます(なかにはハインツ・シュミットのように死亡年月日が記載されているにもかかわらず消息不明者としてカテゴライズされている人物もいます)。この部分を整理するだけでもだいぶ改善されるのではないかと思います。--NOBU会話) 2019年9月22日 (日) 23:29 (UTC)
コメント 私が記憶している限りでは、これに関連する話題として、Wikipedia:井戸端/subj/亡くなったという情報を人物記事に書くことについて(2019年3月~)、Wikipedia:井戸端/subj/芸能界を引退された方の現年齢について(2019年4月~)があり、今年に入って3例目の話題になります。
Wikipedia:存命人物の伝記の方針との絡みに関していえば、現在のところ日本語版には何ら取り決めはないのですが、これに該当する英語版の方針文書en:Wikipedia:Biographies of living personsにはen:WP:BDPという規定があります。この規定は、原則として過去115年以内に生まれた人物の伝記記事を「存命人物の伝記」の方針の適用対象とするものとし、過去2年以内に生存していたことが確認されない限り、115歳を超える人物は死亡したものと推定することになっているようです。まあ、これはあくまでも同方針の運用上の便宜的措置にすぎないのですが。
日本語版に話を戻すと、Category:没年不明Category:没年が先にあって、超高齢であることなどを理由に当該人物が死んだ前提として貼られる一方、Category:消息不明となった人物は、生死にかかわらず、宣告された「失踪者」や法定上の「行方不明者」と、単に最近メディア上に姿が見えないだけの「現況不明」の人物が一緒くたにされている感があります。上記の話題「亡くなったという情報を人物記事に書くことについて」では、ある人物が「没年不明」あるいは「消息不明」と判定されるケースというのは、本来出典とするべき信頼できる情報源が入手できない状況でなされる場合がほとんどであり、その判定は必然的に編集者個々人の恣意的な判断に委ねられることになるため、WP:CITE(ひいてはWP:VおよびWP:NOR)に反するのではないかというような指摘がなされており、これは本話題にも共通する問題であると思います。
「没年不明」の運用については、英語版のような規定を合意できれば解決するはずです。「消息不明」の方も、不特定多数の利用者が編集するウィキペディアのカテゴリである以上は、Wikipedia:削除依頼/Category:消息不明となった人物の議論も参考にして、カテゴリの定義をある程度は明確化しておく必要があると思いますが、未だ名案が思い浮かんできません。すみません。--Doraemonplus会話) 2019年9月23日 (月) 13:13 (UTC)
コメント 追記 Category:消息不明となった人物自体は、近況に関して重点的に情報の収集と加筆が求められている人物記事をまとめたカテゴリと捉えれば、有用だと思います。--Doraemonplus会話) 2019年9月23日 (月) 13:30 (UTC)
コメント 単に表向きの活動が伝えられなくなった人物と、事件・事故・災害・戦争などによって行方が分からなくなった(異常な状態で消息が途絶えた)人物とを区別したいので、少なくとも現状のCategory:消息不明となった人物の運用が望ましいとは思いません。個人的には、表向きの活動が伝えられなくなったからと言ってカテゴリを付与するべきではなく、「異常な状態」かどうかを重視して欲しい、と感じます。なお、没年カテゴリと重ね付けする理由ですが、失踪後死亡を認定されている人物(例えば金炯旭)、ある時点で消息が分からなくなっていたが近年没年が確認された人物(例えば尾形俊太郎)、などが考えられますね。--Rasalghul会話) 2019年9月23日 (月) 14:45 (UTC)
コメント Rasalghulさんに同感です。人物とは違いますが、競馬分野では、「消息不明」と認定されている馬がいます。たとえば誘拐されて帰ってこなかったものとか、戦場に送られてそれっきりのものとか。こういうのは明示的に「消息不明の○○」とカテゴライズするのに相応しいでしょう。
それとは別に、単に引退したあとの動向が伝えられていない・執筆者である我々が近況を知らない、というのは「消息不明」とカテゴライズするのはヘンだなと思います。
ここはニュースではなく百科事典なので、百科事典的に重要な「特筆すべき事象」だけ書けばいい。なんでもかんでも生まれから死ぬまでを書く必要はなく、それはNOTNEWSとかINFO(過剰な情報収集)に片足突っ込むことになるかも。芸能人やスポーツ選手は、「引退」後、とくに書くことがないならそれでいいでしょう。それを「消息不明」とするのは異様です。
必要や見込みがあって、近況をアップデートしたいなら、隠しカテゴリでもつけておけばいいのでは。--柒月例祭会話) 2019年9月23日 (月) 15:20 (UTC)
コメント 現況不明という意味合いの人物は外した方がいいと思います。「近況に関して重点的に情報の収集と加筆が求められている人物」のカテゴリが有用との考えもわからないでもないですが、必要であれば別にカテゴリは分けるべきだと思います。--Camillu87会話) 2019年10月3日 (木) 23:08 (UTC)
提案 ウィキペディアでは出典がないことは書けないはずです。したがって、辻政信元議員のように「消息不明だと記述している適切な出典」が存在する場合に限り、Category:消息不明となった人物を付けるべきだと思います。ところが、一部の執筆者は「没年がわからなかったらCategory:消息不明となった人物を付けてよい」という誤った解釈をしている人が散見されます。これは出典がないことは書いてはいけない、というウィキペディアの方針に明確に反していますし、ただ単にその執筆者の調査が不十分なだけの可能性もありますよね。たとえばGeogie氏のように、Category:消息不明となった人物何の根拠もなくべたべた貼り付けて回っている人もいます。(なおGeogie氏に出典を提示するようノートや会話ページでお願いしましたが、何ひとつ提示できずだんまりを決め込んでいます。つまり、出典がないのに勝手な判断で貼り付けて回っている確信犯です。)出典がないのに執筆者の勝手な判断でCategory:消息不明となった人物を付けるのはルール違反であり、ウィキペディアを執筆する資格はないと思います。また、勝手にCategory:消息不明となった人物を貼り付けられた場合、そのご本人やご家族(あるいはご遺族)に対して大変無礼な行為だと思います。現時点で既にこのような行為は認められないはずだと思うのですが、現状ではこういう無責任な執筆者が跳梁跋扈しておりなんとかしていただきたいのですが、どうしたらよいのでしょうか……。「ぼくはこのひとのぼつねんをしらない」イコール「消息不明となった人物を貼ってよい」と考えている無責任な執筆者に、何らかの処置を課すことはできないのでしょうか。よろしくご検討ください。--126.164.0.166 2019年10月6日 (日) 13:35 (UTC)
「処置を課す」ってのは無理です。それが単なる無知なのか、それとも悪意に基づくものであるのか判断できません。
それはさて置くとして上の方で出た、英語版の「1904年以前生まれで死亡年が分からない人についてはen:Category:Year of death unknown(没年不明)に変更する」って対応はそれなりに合理的です。何故なら現在、世界最高齢とされている田中カ子さんが1903年生まれですから。少なくともこれより高齢の人物は「現時点で生存が確認されていない」ということになります。117歳で亡くなった田島ナビさんまで考慮しても1900年以前に生まれたとされる人物についてはサクッとCategory:消息不明となった人物を除去してCategory:没年不明などに差し替えてしまう方がいいように思われます。--KAMUI会話) 2019年10月7日 (月) 12:30 (UTC)
私もまずはKAMUIさん提案の処理から初めてよろしいのではないかと思います(Wikipedia:Botが使えればベストですがさすがに難しいかな…)。1901年以降に出生された方については、単純に削除するか泉春子などのように一応出典付きで没年が記載されていれば「○○年没」のカテゴリを貼ればいいと思います。--NOBU会話) 2019年10月7日 (月) 14:07 (UTC)
田中カ子さんは現在116歳。2011年に114歳347日で亡くなったマリア・ゴメス・ヴァレンチン以降、世界最高齢の人物の没年齢は115〜117歳ですので、まぁ115年前で明確な出典が示されていない人物については「没年不明」に貼り替えるにしても、一応の合意は取るべきじゃないかな。--KAMUI会話) 2019年10月8日 (火) 21:22 (UTC)
機械的に期間経過によって消息不明を没年不明に付け替える、というのには賛成できません。100年前に消息不明になった人物には、200年前になろうが300年前になろうが変わらず消息不明カテゴリを付与するべきだと思います。例えばアンブローズ・ビアスは確実に死んでいますが、消息不明カテゴリは必要です。あるいは現時点で死亡が確認されているとしても、過去に消息不明であったという事実が出典付きで紹介されているならカテゴリを付与するべきです。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリなどがそうです。まあ、この辺は「(過去のある時点で)消息不明となった」のか、あるいは「(今現在において)消息が不明である」のか、カテゴリの解釈がハッキリしないという点に原因があるのかもしれません。私は前者の解釈です。--Rasalghul会話) 2019年10月8日 (火) 21:25 (UTC)
そもそも「消息」という単語には複数の意味があって、上でも他の方が挙げられているようにCategory:消息不明となった人物では明確さに欠けます。カテゴライズが混乱しているのもこのためでしょう。
例えば我修院達也は一時期行方不明(更に発見時には記憶喪失)でしたが、当該カテゴリは付けられていませんし付けるべきではないと考えます。生前の高倉健は映画撮ってる時以外は年単位で何やってるか不明な生活を送ってましたが、表に出てない時にCategory:消息不明となった人物を貼ったりした日には「お前頭は大丈夫か?」と言われたでしょう。現在の問題を解消するためにはカテゴリ名そのものを変更するとか、行方不明者についてはカテゴリを別に用意して両者を分離する必要があります。
なお、アンブローズ・ビアスですが英語版ではw:Category:1910s missing person cases(1910年代の行方不明者)とw:Category:1910s deaths(1910年代死亡)が付けられていますね。--KAMUI会話) 2019年10月9日 (水) 12:42 (UTC)

巡回されていない、ノート系ページについて[編集]

これらの検索結果を見ると、ノート系ページの未巡回ページが結構、溜まっているようです。ですが、ノート系ページの巡回って、どういう基準で行えば良いのでしょうか? 通常のページで有れば、明らかにおかしな所が無ければ、巡回して良いと思っていますが。ノートの場合、明らかに荒らしでなければ、巡回しても良いのでしょうか? その辺りが、よく分かりません。--お好みでタピオカをおかけください会話) 2019年9月24日 (火) 05:31 (UTC)追記--お好みでタピオカをおかけください会話) 2019年9月24日 (火) 05:34 (UTC)
加えて質問です。もしも巡回されないまま、月日が経った場合には、どうなるのでしょうか? 上記の結果画面から、流れて消えてしまう事も有るのでしょうか? また、それが起こる場合、『上述の結果画面には出ないけど、個別にページを見れば、未巡回だと出て巡回リンクも出てくる』感じになるのか、『一定の月日が経った時点で、誰も巡回していなくても、巡回扱いになる』のか、それも気になります。分かる方いらっしゃいましたら、どなたか教えて頂けると嬉しいです。--お好みでタピオカをおかけください会話) 2019年9月26日 (木) 13:51 (UTC)

心配ならば放置すればいいでしょう--2001:268:C05E:815:8DE7:60F2:297E:7096 2019年10月6日 (日) 21:59 (UTC)

将棋の戦法や囲いの説明にある英語名称について[編集]

表題の件について、そこに挙げられている英語名称について違和感があります。しかし、ページに出典の記載はないものの、各ページのノートでの議論も特にないことから、編集しておられる方々がどのようにお考えか(またはどこかですでに合意がされているのか)伺いたいと考えています。 このように、複数ページにまたがる事柄についてはどこでどのように伺いを立てればよいのか方法をお示しいだだきたく思います。 どうぞよろしくお願いいたします。--2409:253:9180:3600:4D35:C99A:7DDA:4D1A 2019年9月25日 (水) 14:46 (UTC)

ウィキペディアの本筋としては、専門分野の話となりますのでWikipedia:ウィキプロジェクトの範疇になるかと思います。ただ、プロジェクト:将棋は無いんですよね。コメント依頼見てると、将棋分野の騒動結構あるので、プロジェクト化すれば良いのにと思うんですけど、無いんですよね。どうでも良くて案の定死に体のプロジェクトもあるのに将棋は無いんですよね。
本題ですが、将棋戦法で英称が載ってるのは私も前から不思議に思ってまして、いらないか、必要とするならもっと整備すべきではと思ってます。もし、あれを付記している人物が英語圏にも普及したいとか思ってるなら、それこそ、英語版に新規記事を立てて書けよと思うんですけどね。
もうちょっと汎用的な話をさせてもううと、無意味に英語付記は多いように私は思ってます。英語圏の事象や、関連する事象について、説明する際に原語として英称も付記するのは何ら問題ないと思いますが、日本固有の事柄や、英語圏に関係しないものにも、英称があることが多くて、あれ、どうになからないかなあと思ってます。--EULE会話) 2019年9月28日 (土) 14:54 (UTC)誤字訂正--EULE会話) 2019年9月30日 (月) 13:39 (UTC)
コメント 将棋に関するウィキプロジェクトとして、プロジェクト:ボードゲームがある様です。参加者が居なくて死に体になっている様に見えますが……--aki42006会話) 2019年9月29日 (日) 06:45 (UTC)
ご教示ありがとうございます。プロジェクト:ボードゲームとは盲点でした。wikipedia一般のお話は、ほぼ閲覧専門の私には大きなお話ですが、個人的にはEULEさんの思いには共感するところがあります。--2409:253:9180:3600:49D7:EB1F:6E9E:53B6 2019年9月29日 (日) 13:23 (UTC)
◆基本は文献にあたるべきで、出典が挙げられていないうちは除去が妥当だと思います。何でもかんでも英語を付記する風潮には疑問を持ちますが、本件は出典を挙げさえすれば、付記する意義はあると私は思います。日本語あるいは英語が得意でないが、将棋に興味を持つ層が、「この用語は英語で何というべきだろう」と調べることは十分考えられますから。海外普及のために、かなり多くの用語が英訳されているとは聞いていますので、きちんと文献を調べさえすれば、少なくとも有名所は大抵載っているだろうと思います。少しネット上で検索したら、将棋世界2015年2月号にいくつか載っているのを見つけました。--白駒会話) 2019年9月30日 (月) 03:48 (UTC) 修正:将棋世界2005年→2015年 --白駒会話) 2019年10月5日 (土) 04:40 (UTC)

Yahoo 知恵袋などで いい資料がないか聞いてみたらどうでしょうか--2001:268:C05E:815:8DE7:60F2:297E:7096 2019年10月6日 (日) 22:01 (UTC)

プロジェクト‐ノート:ボードゲーム#将棋の戦法や囲いの説明にある英語名称についての方で話を進めております。よろしければ、以後そちらで。--白駒会話) 2019年10月7日 (月) 10:04 (UTC)

Wikipediaの寄附についての提案[編集]

何か調べたい時はとりあえずWikipedia、という程いつも利用しております。編集者・管理者さん、ありがとうございます。

Wikipediaの寄附についてですが、寄附をする人は全体の1%という事を知り、また今までにない程の寄附を促す様子にどこか鬼気迫る雰囲気を感じ、このままではWikipediaが運営していけなくなってしまうのではないかと心配したため、今回主に管理者の方に向けてこの場をお借りして提案させて頂きます。 (問合わせ先が分からなかったため…)


さて、そこで僕からの提案なのですが、単刀直入に言いますと、寄付に関するお願いの説明文を変えてみてはどうでしょうか?

寄附がどのくらい集まるかは、説明の仕方次第ではないかと個人的に感じておりまして。

例えば具体的には、 「Wikipediaの運営には1日に〇〇費と⬜︎⬜︎費など☆☆☆円掛かり、1年に換算すると!!!!!円必要になります。 しかし、Wikipediaは有志による数名の管理者と皆様編集者の支えによって成り立っている為、基本的に元手となる資金がありません。そのため皆様からの寄附金により成り立っています。 ですが昨年度の1年間の寄附金は???円と昨年分だけでも@@@@円不足しており、このまま赤字運営を繰り返すとホームページの存続が危ぶまれ(てい)ます。 皆様どうか寄付の程を宜しくお願いします。」 などと書いて、具体的な数字や簡潔な運営状況を説明すると、読者もこれはやばいと思って他人事にならずになるのではないかと個人的に思います。

また余談ですが、もしこれにより寄付額が増えて黒字運営になりましたら、その状況を説明文を更新し伝える事で、寄付してくれた人もハッピーな気持ちになり、寄附が続き、黒字運営が続くのではないかと思います。


宜しければ寄付の説明文について、いま一度ご考察いただければ幸いです。 そしてWikipediaがこれからも利用できますように。

--以上の署名の無いコメントは、111.168.55.51ノート)さんが 2019年9月27日 (金) 17:41 (UTC) に投稿したものです(115.38.235.23による付記)。

「他利用者による追記」 Wikipediaの寄付のお願いが表示されていたので、やってみるかと腰をあげてみるとクレジット入力画面でウンザリしてしまいました この形式での寄付だと利用者がクレジットを持っていない年代の場合や、同様にクレジット入力を億劫だと考える層からの寄付を受けづらい状況ではないでしょうか ネット上のもの・システムに寄付をするというのは昔は考えにくかったですが、現代はスマホの普及によりオンライン上で決済をすることが一般的になってきています 特にアプリストアを経由した課金は日常といっていいほど浸透しています Wikipediaにつきましてもそのアプリ課金の波に乗り、アプリ上で課金(寄付)を行えるシステムを取られてはいかがでしょうか?

--以上の署名の無いコメントは、61.8.84.225ノート)さんが 2019年9月27日 (金) 20:05 (UTC) に投稿したものです(115.38.235.23による付記)。

コメント。まず、前提としてウィキペディアの運営についてご理解をお願いします。
  • 今回主に管理者の方に向けてこの場をお借りして提案させて頂きます。: Wikipedia における 管理者 というのは、サイト自体の管理をしているわけではありません。管理者の仕事とは、不適切なページを削除したり、荒らしユーザーを投稿ブロックしたりする、制限された権限を持っているだけの一般利用者です。ウィキメディアのサイトを管理・運営しているのはアメリカにある ウィキメディア財団 です。
要は、日本語版ウィキペディアを始めとした多数の言語版をプロジェクトは、ウィキメディア財団によって運営されています。ここにコメントしている人たちは全て有志であり、ウィキメディア財団の職員ではありません。ウィキメディア財団はサーバーの維持・新設やソフトウェアの開発、人件費などの費用を全て寄付で賄っています。で、この寄付のお願いを出しているのもウィキメディア財団です。ウィキペディア側で寄付のお願いをどうこうできるような問題ではないということ、ご理解いただきたく思います。また、寄付を考えられている方や寄付をされている方の意見は貴重なものになると思われるので、連絡先 を参考にウィキメディア財団に直接提案されるのも一手だと思います。--Yuukin0248[会話/投稿記録] 2019年9月28日 (土) 03:09 (UTC)

まあ確かにキャリア決済くらいできたらいいのになって思うことはありますね できないから 寄付もしない それだけですが--2001:268:C05E:815:8DE7:60F2:297E:7096 2019年10月6日 (日) 22:04 (UTC)

記述に印刷された情報源が絶対必要か[編集]

ウィキペディアの記事では「検証可能性」が必要とされていますが、それは記事中の全ての記述にそれを裏付ける印刷物の存在を必要とすることを意味するのでしょうか。実際はそれを要するのは無理で、多くの記述が内容が充分納得できるものであればいちいち文献を挙げずに書かれています。ですが私の書いた記事の一部が、検証可能な情報源がない、という理由で削除されたので、広く皆様のご意見を伺いたいと思います。

話は伏見康治 の項目で、私は伏見康治本人から聞いた話として、小松左京の小説「物体O」に登場する「三伏教授」のモデルは伏見康治だ、と書きました。そして状況証拠として、教授の名前「三伏」が「伏見」のアナグラムになっていること、小松が小説中で記述した「阪大理学部の物理学の教授」「学術会議や原子力問題で政治家や役人を相手に縦横無人の活躍をした」が伏見康治にぴったり重なること、を脚注に記しておきました。私はこれだけ状況証拠がそろっていれば、記事を読んだ人は10人中9人は納得するものと考えます。しかし、一串的さんや侵入者ウィリアムさんは、「信用できる情報源」がないという理由で関係する記述を一刀両断に削除なさいました。その辺の議論のやりとりは項目「伏見康治」のノートにあります。

私は、この「三伏教授のモデルは伏見だ」という情報は状況証拠だけで充分納得でき、かつ残す価値があるもので、しかも誰かが指摘しなければ気づかれずに忘却の彼方に消えてしまうものだ、と考えます。従って、これをウィキペディアに書き留めておくことは充分意味があり、ウィキペディアの品質・品位を落とすことはないと考えます。私の考えは間違っているでしょうか。このモデル記述の復元の可否について、皆様のご意見を聞かせていただければ幸いです。Midz会話) 2019年10月3日 (木) 02:35 (UTC)

誠に勝手ながら文章をwikfy致しました。--126.33.222.215 2019年10月3日 (木) 06:06 (UTC)
「私の考えは間違っているでしょうか」→はい。
「誰かが指摘しなければ気づかれずに忘却の彼方に消えてしまうものだ、と考えます」→ウィキペディアでは、検証可能でないことは書く価値がなく、従って「忘却の彼方」に消えてしまっても仕方がないと考えられています。そして、「忘却の彼方」に消えてしまうことが望ましくないと考えられる事柄については、検証可能な形でその記録が保存されるであろうと考えています。(検証可能な形で記録が保存されていれば、記載できるというわけではありません。念のため)
そもそも書くところが違います。もし、あなたが記載しようとしていることが検証可能であったとしても、書くべきところは『物体O』であって、伏見康治ではありません。--126.33.222.215 2019年10月3日 (木) 06:06 (UTC)
コメント Midzさんへ とりあえず「Wikipedia:五本の柱」や「ウィキペディアの内容に関する三大方針」(Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せない)などを改めて読み直していただくよう、お願いします。--aki42006会話) 2019年10月3日 (木) 09:41 (UTC)
@Midzさん宛 Wikipediaの方針であるWikipedia:検証可能性の、版番73818360(現時点での最新版)の「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」節から引用します。
検証可能であることと真実であることの違いは、次の例で見ればよくわかるでしょう。あなたは、ある著名な物理学者の「X理論」についてウィキペディアの記事を書いているとします。X理論は査読審査を経て学術誌に掲載されており、したがってウィキペディアの記事として適しています。ところが、執筆中にあなたがその学者に連絡をとったところ「実を言うと、今ではX理論は完全に誤りだと考えています。」と言われてしまいます。あなたが原著者本人からこれを聴いたとしても、彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけません。

なぜいけないのでしょう。それは「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができないから」です。読者は、あなたが誰なのかを知りません。世界中の閲覧者があなたに連絡して確認を取れるように、あなたの連絡先を載せるというわけにはいきません。たとえあなたに連絡がとれるようになっていたとしても、閲覧者があなたを信じる理由がどこにあるでしょう。

その情報をウィキペディアに載せてよいものにするには、まず、広く信頼されている報道機関を説得してあなたの話を発表してもらわなければなりません。それは、査読を受けるのと同様の過程を経ることになります。つまり、まず記者、次に編集者、そしておそらくは事実調査員にチェックされるでしょう。もし問題があれば、さらに弁護士、そして編集長にチェックされるかもしれません。このような事実確認とその評価のしくみがあるのは、新聞に正確で公正な記事を載せるためです。

— Wikipedia:検証可能性版番73818360の「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」節
信頼できる情報源に「『物体O』に出てくる三伏教授のモデルは伏見康治だ」と書いてあれば、出典明記の上でそれをWikipediaに書くことができます。信頼できる情報源を示せないのでしたら、それはWikipediaに書くことはできません。加筆の前に、まずしかるべき出典をご準備ください。--侵入者ウィリアム会話) 2019年10月3日 (木) 14:17 (UTC)

納得がいかないのでしばらく様子をみます。 そもそもウィキペディアには印刷された情報源を示さない記事がたくさんあります。 私自身も情報源を示さずにかなり記事を書いてきましたが、それらは読んだ人々が納得すればそのまま受け入れられ、さらに発展させられます。 今回の記事はたまたま印刷情報源がないことを明示したので多くの批判を受けましたが、これだけ状況証拠が揃っている内容の記事が載っていても、それは決してウィキペディアの理念に反することはなく、その品位・品質を損なうこともない、と私は考えます。 表面的な形式にとらわれない、ひろい視野の人々がご意見を寄せて下さることを期待します。 --Midz会話) 2019年10月4日 (金) 06:44 (UTC)

コメントあくまでも「読んだ人々が納得すれば」ですよね。他の人が読んで「内容が充分納得できるもの」であれば「出典」がなくてもそのまま残る可能性はたしかにあります。しかし「内容が充分納得できるもの」でないと考える人があれば、除去されても仕方がありません。◇残すか除くかで意見対立があれば出典の有無で決めよう、というのがオンラインでの共同作業で百科事典を作る中で生成されたウィキペディアの論争の解決方法であり、それを方針化したものがWikipedia:検証可能性です。◇Midzさんは伏見康治への加筆で「伏見康治本人から聞いた話」と書いておられますが、これを出典無しにウィキペディアに残すのは無理だと思います。「三伏教授のモデルは伏見だ」とウィキペディアに残すには小松氏自身がそう明言している出典が必要ではないかと思います。◇「三伏教授のモデルは自分だと伏見は語っていた」なら、それを聞いた誰かが雑誌エッセイなどに書いているかもしれません。--miya会話) 2019年10月4日 (金) 12:08 (UTC)
コメント 残念ながらMidzさんは間違っている(正確には、ウィキペディアの趣旨とは異なる)と思います。(1)まず総論では、ウィキペディアは規則主義ではありませんが、誰でも編集できるネット百科事典という特性上、色々な方針やガイドが存在します。これらは面倒で、曖昧で、結構矛盾してますが、少なくとも最初はそれぞれの必要性から作成蓄積されたものです。ガイドを相手を倒す武器にしてはいけませんが、単純に無視してもいけません。(2)複数の方が指摘済の通りWikipedia:検証可能性を熟読して欲しいです。この方針が納得できないなら、ウィキペディアに書いてはいけませんし、別の場所で主張すべきです(異論者を追い出したいのではなく、道具・ツールとして目的が違うので、目的に応じたツールを使った方が有意義です。)(3)ウィキペディアは「真実を書く場所」ではなく、「信頼できる出典ある記載を書く場所」です。「本人から直接話を聞いた」そうですが、仮に事実でも、例えば冗談や聞き間違えなのか、誰にも何も分かりません。過去にも「私は現場にいた。真実を見た」との方が井戸端で主張されましたが、今回と同様の対応でした。(4)「出典の無い真実の主張」はウィキペディアでは不向きです。個人ブログ、他のネット百科事典、その分野の研究者やマスコミなどでは歓迎されるかもしれません。(5)情報源を示さない記事や記述が多いのは、単に現時点では見逃されているだけです。ウィキペディアは成長する百科事典なので、後から出典が付けられるケースもあります。ただ厳密には駄目です。「赤信号を守らない人が多いから、私も守らなくていい」とは言えません。(6)実際上、ノートに残せば半永久的に残る(ログ化されて熱心な研究者以外は見ないかもですが)と思うので、仮に将来どこかに出典が出たときに「あのノート発言は正しかったのか」と思われるかもしれません(可能性は別として)。(7)繰り返しますが、出典の無い記述はウィキペディアとしては消されて文句が言えません。正しいか悪いかではなく、「ウィキペディアは信頼できる出典ある内容を書くもの」という性格のためです。真実はウィキペディア以外で堂々と納得できるまで主張して頂ければと思います。--Rabit gti会話) 2019年10月4日 (金) 13:32 (UTC)
「作者本人が言ったことでもそれの確認の使用がないと出典として使えない」のがルールのようです。
ちょっと話変わりますが、上述の「テレビ・ラジオ番組」は明らかにニュースに関する話題ですが、DVDなどが存在するスポーツ大会やドラマ(TV放送されず最初からソフト化のみなども含む)の場合は本編内を見ればわかることについての記述ならば、それで再確認可能なので『○○(タイトル)』とか『第何話』とかだけで出典は成立しますよね?--カーラ・ミーキタ会話) 2019年10月5日 (土) 05:32 (UTC)
報告 上記コメントをされたカーラ・ミーキタさんはWikipedia:投稿ブロック依頼/カーラ・ミーキタの結果無期限ブロックされました。詳しくは上記依頼ページを参照していただきたいのですが、上のコメントでも書かれている「見ればわかる」内容について他の利用者と合意が得られず最後まで反論を続けたことも無期限ブロックの一因となっているようですので注意喚起も兼ねてお知らせします。--にび三郎会話) 2019年10月10日 (木) 08:51 (UTC)
(コメント)僕自身Midzさん訴えは分かります。詳細はノート:機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ#三日月=サイコパスとするか否か参照ですが、恥ずかしながら過去にMidzさんの冒頭の説明に近いことをして、他の方から独自研究だと注意されたことがあります。そこで僕が他の方から言われたように「○○は××である」と明記した資料を提示して追記するのが無難と思います。ただ出典を明記してもノート:吉田松陰のように「出典が信頼できない」と、他の方からみなされた場合はあきらめるしかないでしょうね。--ペン打ゴン会話) 2019年10月5日 (土) 10:33 (UTC)
コメント 伏見康治先生ご本人からこの話を聞いたということは、Midz様はそれなりの学識経験者の方でしょうか。そうであれば、上に書かれていた状況証拠も含めて、学会誌に記事を書いてみてはいかがでしょうか。ご自身では難しい場合は、伏見先生のお弟子さんや孫弟子の方に記事を書いてもらうようにお願いするという手もあると思います。日本科学史学会という学会もあるようですので、いろいろな調査や分析を加えて、会誌『科学史研究』に投稿するという手もあります。活動の過程で新聞に取り上げられるのも良しです。
私は、この「三伏教授のモデルは伏見だ」という情報は状況証拠だけで充分納得でき、かつ残す価値があるもので、しかも誰かが指摘しなければ気づかれずに忘却の彼方に消えてしまうものだ、と考えます。」「これをウィキペディアに書き留めておくことは充分意味があり、ウィキペディアの品質・品位を落とすことはないと考えます。」というお考えは大変素晴らしいものですし、それを頭ごなしに否定されれれば「納得がいかない」となるのも当然だと思います。ですが、「信頼できる情報源(学会発表の予稿集レベルではなく、きちんとした査読を受ける学会誌・論文誌の記事・論文)に掲載される、もしくは取材を受けて新聞記事に取り上げられる。」という間が欠けています。そこを補えればWikipediaにも問題なく掲載され、誰もにとって良い状況になります。
なお、Wikipediaができた当初は出典なしで記事が書かれるのが普通で、ある段階で出典明記が原則になった経緯があります。黎明期の名残りで出典が不足している記事も多いですが、それらはマンパワーが足りないためにそうなっているとお考え下さい。以上僭越ながら、ご参考になれば幸いです……。--Assemblykinematics会話) 2019年10月6日 (日) 05:59 (UTC)
さすがにちょっと看過できないんでツッコミ。傍流です。出典明記は初めから原則です。Wikipedia:検証可能性はWikipedia方針の文字通りの「柱」であり、そんなものが後からぽんと原則になるなんてことはあり得ませんし、実際にもありません。ある時期までは利用者・記事の増加にこうしたルールの周知もまた修正も追いついていなかった(今も追いついているわけではありませんが、まあWikipediaにも「牧歌的」な時期もあったのです)というだけです。この辺りは「マンパワーが足りないために」とおっしゃっている通りです。出典の明記は初めから超基本的な方針のひとつです --いすか (/) 2019年10月7日 (月) 04:40 (UTC)
コメント 脱線ですが興味本位で見てみると、ウィキペディア日本語版は2001年から、Wikipedia:検証可能性の最古は2006年[1]、英語版の最古は2003年に見えます[2]。方針自体は存在したが、当初は別文書で履歴継承されてない可能性もありますが、少なくとも外見的には「後からできた」のも一概に間違いではないかも。--Rabit gti会話) 2019年10月7日 (月) 13:08 (UTC)
うーむ、ちょっと微妙すかね。というのは、Wikipedia日本語版が伸びを見せたのは06-07年ころと承知してます。調べてみると確かにそうなっていて、個々でだいたい20万項目くらいが作成されて、40万項目になってます。この辺りまでを「初期」ととらえれば、おおよそ「初期からあったよ」で良いと思うのですけどね。10年以上前の話だし。英語版の流れを見ても、ちょうどそのあたりで「明文化しよう」という機運が生まれたのかもしれません。自分も07年からの参加なので、さすがにそこまでは知らないです。まあ、この辺で。 --いすか (/) 2019年10月8日 (火) 01:54 (UTC)
全体的にインデントを調整させていただきました。--Assemblykinematics会話) 2019年10月11日 (金) 19:56 (UTC)
コメント どこに書こうか迷いましたが、この位置に。
以前にどこかの議論で、黎明期から参加されている編集者の方が「あながた知っていることを書いてください、何かを参照して書いた場合は、出典(情報源)を参考文献として記してください、というのがWikipediaの初期のスタンスだった」といった趣旨のことが書かれいたと記憶しています。どこの議論か探せなかったのですが、そこでの議論、もしくは関連する議論では、当初はジェネラル・リファレンス形式(参考文献節に出典をまとめて列挙するだけ)が許容されていたものの、それではどの記述がその出典に基づくのかわからないため、脚注により細かく出典を明記する形に変わっていった……ことも指摘されていたと思います。
この議論の上の方でも、2004年1月から活動されていらっしゃるmiya様が「◇残すか除くかで意見対立があれば出典の有無で決めよう、というのがオンラインでの共同作業で百科事典を作る中で生成されたウィキペディアの論争の解決方法であり、それを方針化したものがWikipedia:検証可能性です。」と書かれているところに歴史的経緯が表れているようです。英語版Wikipediaの設立は2001年で、「Wikipedia:Policy」の初版は2002年4月24日(UTC)にできています。2001年当時のポリシーは別のページにあったのかもしれませんが、2002年4月の段階でも出典の明記や検証可能性に関する文言が確認できません(著作権や中立性に関する文章は確認できます)。あと「Wikipedia:No original research」の初版は2003年12月21日(UTC)です。
五本の柱に相当する「Wikipedia:Five pillars」の初版は2005年5月4日(UTC)にできており、この段階では中立的な観点についての記述の部分に出典を明記するに関する記述や内部リンクが記載されています。しかしこれは引用をする際に出典を明記するという趣旨のようで、論争のある主題に対してだれがどこで述べた見解かをはっきりさせるためのように見受けられます(2002年4月19日(UTC)作成の「Wikipedia:Citing sources」の初版を見ても、そのような趣旨に読み取れます)。また、日本語版ができて活動が活発になったころを基準にして「初期」を考えるべきというご指摘もございますが、日本語版は英語版からの翻訳記事も多いですし、History of Wikipediaによると2003年で英語版の記事数は10万件に達したと書かれていますので、その影響は無視できないと考えられます。
なお今回の議論で補足したかったこととして、「参考文献」節に出典があるものの、脚注として対応付けされていない場合、後から追記された内容が参考文献をもとにしたものか独自研究のものか判別できないことです。もちろん参考文献に列挙された文献を総当たりすれば確認できるのですが、それには大変な労力(時には資金も)を伴います。現時点では遵守すべき方針として「検証可能性」が存在しますので、Midz様に置かれましてはそれを尊重していただけると幸いです……。--Assemblykinematics会話) 2019年10月11日 (金) 19:56 (UTC)
コメント Assemblykinematicsさん、貴重な情報ありがとうございます!素晴らしい!(A)複数の情報を拝見しても、歴史的経緯としては「最初は中立性と著作権が中心で、「出典の明記」の明文化は後から」のようですね。(B)ただし「中立性 → 議論になると何を残すか → 事実を客観的に書く → 検証可能性 → 信頼できる出典が必要」という趣旨からは、「出典の明記」は「中立性」確保の手段でもあり、「方針が後から増えた」というよりは「方針の整理・明文化が進んだだけ」とも思えます。(C)個人的願望では、このような「方針文書の形成過程まとめ」とかも記事「ウィキペディア」なり方針文書なりに、どなたかが記載して頂けると嬉しいです。現在、複数の「方針」があり相互に関連しているのは判りますが、形成経緯が簡単には見えないことも「何故規則が多いのか、本末転倒ではないか」との批判の遠因に思えます。(D)再認識できたのは、当初は恐らく「出典があれば出典を付ける」、現在も「出典なければ消されても文句は言えない」で、「出典なしは記載禁止、出典なしは消すべき」とのガイドは無い。勿論、出典は付けるべきですが、「出典なしは一律削除」との世界でもない、かといって「出典なしが沢山あるから、私もなしで良い」とは言えない、というのが実情ではないでしょうか。初期は記事を増やす事を優先(一見妥当に見える記事なら出典なしも許容・黙認)、記事や編集者が増えた現在では新規の出典なしの弊害が増加(把握・確認・指摘する方が追い付かない、そのため「出典の明記」を初期以上に強調せざるをえない)という気もします。(E)ただし Midz さん問題提起の事例では、既に「消すべき」意見が出ている以上、「消されても文句は言えない」(書くには出典か合意が必要)なのは明らかと思います。(F)最後に私の場合。私も、自分が実際に経験して出典が見当たらない話は結構あり、その場合は (a)出典を探す。今は国会図書館サーチやGoogle booksもある。本人から聞いた話なら、他の人にも話した可能性はある。(b)どうしても見つからない場合は諦める(軽微な話では形式を注意して書いてみる事もあるが、指摘を受ければ素直に従う)(c)数年後に検索にヒットして発見する事もある (d)ウィキペディア以外の場も探す(用途に応じて記載先を使い分ける)、などでしょうか。--Rabit gti会話) 2019年10月12日 (土) 02:32 (UTC)

PJ日本史の過去合意が、Wikipedia内の全記事の「大日本帝国」という言葉使用の際の合意にどの程度関わっているのかについて[編集]

タイトル変更。旧称:プロジェクト‐ノート:日本史の過去合意が、Wikipedia内の全記事の「大日本帝国」という言葉使用の際の合意にどの程度関わっているのかについて --Triglav会話) 2019年10月5日 (土) 08:24 (UTC)

昨日、Omaemona1982さんから、プロジェクト‐ノート:日本史の過去合意に反しているからということで、[3][4]のように、文学者のテンプレで私が付けた「大日本帝国の旗 大日本帝国」をすべて「日本の旗 日本」に書き換えられましたが、「大日本帝国の旗 大日本帝国」というレターコードを使用することの何がそんなにリバートされるほどの違反行為に相当するのかとても疑問に思いました。


Omaemona1982さんのお話では、私が事前に記事ノートでの合意なしにそれを編集したから、差し戻されても当然であるということらしいのですが、私としてはドストエフスキートーマス・マンフランツ・カフカフリードリヒ・ニーチェマルセル・プルーストなど海外の作家のテンプレのように歴史的呼称の正式国名のレターコードにした方が、その作家の出生時や死没時の歴史的な時代背景がパッととても解りやすいので、それに沿った方式にしたわけで、何も記事本文の戦前のことを解説している中の「日本」という言葉をいちいち「大日本帝国」に置き換えるような非常識なことは一切しておらず、レターコードの編集後もどなたからも異議申し立てもなく済んでいて何の編集合戦もありませんでした。


なので、国名のレターコードを正当な歴史的呼称にする程度のことに逐一ノートを使わなければならなかったのか、そうしなかったからリバートされても文句が言えないのか、そのような強制力が全Wikipedia内の記事を対象に、プロジェクト‐ノート:日本史の過去合意にあるのかを、幅広く井戸端で皆さんのご意見を募りたいと思います。私が編集したもの以外の「二・二六事件[5]や「汪兆銘[6]などでも同様の書き換えがOmaemona1982さんによってなされていますが、そこまでして「大日本帝国」を使っちゃいけないのかなと不可思議に思います。ちなみに「二・二六事件」の書き換えについては、逆にOmaemona1982さんご自身がその過去合意とやらに違反した行為(ノートでの合意なしで書き換え)を行っているように思えます。--みしまるもも会話) 2019年10月5日 (土) 03:47 (UTC) 補記--みしまるもも会話) 2019年10月5日 (土) 08:32 (UTC)

参考リンク

コメント みしまるももさんの問題提起が何を目指しているのかによります。三島由紀夫一記事のことを論じたいのか、Wikipedia全般の取り決めについて論じたいのか。後者であるとすると、多くの場合と同じように、1特殊案件を以て話を全Wikipediaに広げようとしても徒労に終わる、ということになろうかと思います。なので、三島由紀夫のこと限定でコメントします。

「Wikipedia内のルール・合意」を超えていろいろ難しい・悩ましい問題をはらんでいると思いますが・・・。国旗に時代背景を象徴させようという狙いはわかりますが、「国旗は不要」「そこ(infoboxのbirth_place)では『日本』とするのが無難」(最高とは言ってない)、と感じます。

アイコンは不要、国旗も不要

国旗アイコンの使用は様々な場所で時々論争を招いています。一般に画像アイコンを使用するのはそこに不必要に注目を集めてしまうという問題があります(Wikipedia:アイコン)。

そして国旗アイコンは、主にスポーツ分野でよく議論をみる気がするのですが、それが「国を代表している」という文脈での使用ならば意味があるが、そうでない文脈ではあまり意味がない、というのが趨勢と思います。W杯のナショナルチームの話ならば国旗アイコンをつけるのは合理的理由があるが、クラブチームの対戦では選手ごとの国籍等に由来する国旗アイコンは不要である、というような感じで。その事物がいくつもの国を移動していったことを端的に示す、みたいな場合にも、国旗アイコンを使うと便利でしょう。

三島由紀夫の場合には上記のような事由は当たらないです。三島由紀夫の場合には、確かに時代性は大きなテーマです。国旗によって時代背景を象徴させたいという意図はわかるのですが、Wikipediaではそれはやめとくのが無難、と思います。(「象徴」は万人に対して意図通りに機能するとは限らない。)

infoboxのbirth_placeは純粋に地理的座標の説明だけの目的とする(国体のことは別の話とする)

一般に、時間と空間の問題はいつもありますね。マルチン・ルターを「ドイツの人物」(厳密にはその時は「ドイツ」は存在せず「ザクセン選帝侯領」だった)と言うのか?とかね。旧日本領だった台湾とか樺太とかのことを「日本の歴史」(当時の領有者を軸とする)とするのか「台湾の歴史」(現在を軸とする)のか。

「birth place」については、人物記事では、それがどの程度重要なのか、個別の事情が常にある。たとえばニューヨークで生まれ生後1週間でパリに移った、みたいな場合には、「アメリカ生まれ」であることにどれぐらい意味があるのか。文学者として「アメリカ生まれのアイデンティティー」みたいなものが有ったような場合には意味があるし、生誕地自体はどうでもいいというようなこともあるでしょう。

ただ、そういう個別のいろいろは記事のなかで詳しく説明するので、infoboxは端的な情報だけを提供するものとするしかない。infoboxの「birth_place」は機械的に生誕地の座標を示すだけであり、国体や時代背景とかのことは触れない、とするしかないんじゃないかなーー、と感じます。そこに「国体の説明」も兼ねようとするのでややこしくなるので。

「日本」のほうが無難

「大日本帝国」は歴史的・空間的に特定の年代・場所に限定され、時には政治的・思想的な属性を伴い、衝突を招きがちです。「日本」はもっと広い概念です(文脈次第では先史時代までも含むことができます。)。厳密さを回避しつつフワッとした形で包括的に表現できます。なので、「日本」としておけば、少なくとも間違いではないし、無難に思います。

たとえば{{Infobox 作家}}の使用例では、夏目漱石は「日本 東京府」であり、「大日本帝国」にはなっていません。--柒月例祭会話) 2019年10月5日 (土) 06:02 (UTC)

コメント 夏目漱石も含め、他80記事近くをOmaemona1982さんが書き換えたので、現状でそうなっているのです。--みしまるもも会話) 2019年10月5日 (土) 08:12 (UTC)
コメント {{Infobox 作家}}については私はリバートしておりませんし、そもそも{{Infobox 作家}}の物は夏目漱石の記事の物と違ってますから、そのまま反映されるわけではないようです。{{Infobox 作家}}のものは2008年からずっと「日本 東京府」のようです。また最初に「日本」になっていた80記事近くの記事を「大日本帝国」に編集されたのはみしまるももさんなので、私のリバートのみを「書き換えた」という表現は一方的ではないでしょうか。--Omaemona1982会話) 2019年10月5日 (土) 20:01 (UTC)
コメントOmaemona1982さんへ) 夏目漱石記事本体のことと勘違いしすみませんでした。ただ、その80記事近くの大半は私自身が立項あるいは大幅加筆した文学系記事(おもに三島由紀夫関係その他)ですので、そのテンプレのアイコンを、海外の作家のように歴史的なコードにしただけのことが、そんなにリバートされてしまうような「違反」になるのかということが言いたいわけです。--みしまるもも会話) 2019年10月6日 (日) 01:30 (UTC)
コメント いえ、ご丁寧にありがとうございます。国号変更表記に該当しなければ特に問題視する気はありませんし、武田麟太郎平岡定太郎などはじめから特に日本とも大日本帝国とも表記がついてなかった物をみしまるももさんが新規に「大日本帝国」と付けた記事については何ら問題ないと思っております。リバートはあくまで「日本」→「大日本帝国」の国号変更編集が行われたものについて行ったつもりです。しかし事前にお知らせなく行った結果、大量のリバート通知で不愉快にさせたと思います。ご無礼の段お許しください。「>80記事近くの大半は私自身が立項あるいは大幅加筆-」については、ご自身の立項や大幅加筆したことをもってその記事に何らかの特別な権利を獲得できるような方針はwikiにはありませんし、その事実をもってテンプレのアイコンを決定できる権利を有するかのような主張に対しては慎重にならざるをえません。--Omaemona1982会話) 2019年10月6日 (日) 06:21 (UTC)
コメントOmaemona1982さんへ)「国号変更表記に該当」の点については、武田麟太郎平岡定太郎のように最初から私が付けたものと、私が立項した時点では私が「日本」としながらもその後に私自身が変更した伊藤初代花ざかりの森など結構数多くあるものとの間に何の差があるんだろう、という不可思議さがありました。それが機械的なリバートへの疑問に繋がったという経緯もあります。--みしまるもも会話) 2019年10月6日 (日) 08:51 (UTC)
コメント 㭍月例祭さんとほぼ同じ内容かと思います。(1)アイコンや国旗は「国」を代表したり、「国」同士の比較する場合(第一次世界大戦の battlebox や、国の一覧の表など)に向きますが、人物や事件に片端から付けると過剰と思います。(2)「大日本帝国」が禁止されているのではなく、該当記事にも記載のように当時の国号の1つにすぎず、当時も「日本国」でもあるからです。例えば「大英帝国」や「ナチス・ドイツ」も、当時も「イギリス(連合王国)」や「ドイツ国」で、第二次世界大戦頃の植民地支配の説明なら「大英帝国、大日本帝国、ナチス・ドイツ」が向くかもしれませんが、特段に理由が無ければ普通に「イギリス、日本、ドイツ」が適切と思います。正直、特定の思い入れがあるのか片端から「大日本帝国」等に修正する方が時々出現されて困っています。--Rabit gti会話) 2019年10月5日 (土) 08:17 (UTC)
コメント 日本史のプロジェクトでの合意が、人物記事における編集の根拠になっていることは問題ではないでしょうか。プロジェクト‐ノート:日本史における合意事項や議事の抜粋に書かれた内容が、一般の人物記事のInfobox中の国号表記に派生するとは読み取れません。三島由紀夫は歴史上の人物としてまだ分かりますが、蓮田善明は従軍経験があるとはいえ一介の文学者です。個別議論であればここまで紛糾していないと思いました。
次にどの3レターコードが望ましいかという件について。ノーベル化学賞受賞者の記事「李遠哲」であれば、植民地時代の台湾で誕生して現在は中華民国(台湾)国籍の方ですので、出生に大日本帝国の旗 大日本帝国Template:JPN1889)が使われるのは適切に感じます。ですが、江戸時代生まれで明治を生き、大正に亡くなられた物理学者の記事「飯盛挺造」ですと、日本の旗 日本JPN)か日本の旗 日本国JPN2)を用いるのが自然と考えます。
なお、徳川葵 江戸幕府JPN1603)というレターコードもあるようですが、これを人物記事のInfoboxで使うことはなさそうです。また、明治時代でも日本における郵船商船規則の旗 日本JPN1870)と大日本帝国の旗 大日本帝国JPN1889)が存在するようで、中途半端に使い分けると編集者や読者が混乱するような気もします。個々のケースで議論すべきでは……と感じた次第です。--Assemblykinematics会話) 2019年10月5日 (土) 16:52 (UTC)
コメント それだと「一般の人物記事のInfobox中の国号表記」は自由に「日本」→「大日本帝国」あるいは「大日本帝国」→「日本」に書き換え編集してよいということになってしまうのではないでしょうか。当該合意はこうした国号編集合戦防止のために作られた合意ですので、むしろこうしたケースにこそ適用があるのが合意の趣旨にかなうのではないでしょうか。人物記事でいちいち「歴史上の人物」か「一介の○○」か分けて考えていると区分が主観的になってきますし。--Omaemona1982会話) 2019年10月5日 (土) 20:01 (UTC)
コメント 少し誤解があるようです。合意がプロジェクト人物伝ではないこと、および合意文章に「明治時代以後の日本史分野(その他の分野と重複する部分を含む)において用いられていた日本の国号表記を変更する際」とあるものの「日本史分野」が漠然として不明瞭であることを問題視しています。現状では「Template国名3レターコード」の{{JPN1889}}の備考欄に「1889-1947(「プロジェクト:日本史」の合意事項も参照) 」とあるものの、各種人物系Infoboxには注意書きやリンクがない点も気になります。プロジェクト人物伝において「日本で出生・居住・死没した人物記事において…」という合意であったり、周知が十分であったりすれば、問題とは思いません。
なお、㭍月例祭様が「大日本帝国は使わない方がよい」といった論調で話されていたため、個々に最適な状況を議論して欲しいという主張させていただいた次第です。先の合意事項にも「本合意において、一切の表記統一は行わないこと、「大日本帝国」「日本」表記はいずれも不当なものではないこと、及びその他「日本国」「大日本国」等の表記についても用いられる余地があることを確認する。」とあり、この考え自体は尊重されるべきと思っています。ちなみに例にあがった 三島由紀夫 蓮田善明 夏目漱石 汪兆銘 飯盛挺造 については「日本」のみ使用し、李遠哲のInfobox中では「大日本帝国」の使用が好ましいと考えています。
あとプロジェクトの合意というのはプロジェクトに参加していない人には分かりにくいため、合意を知らずに編集してしまうことが多々あると思います。1つの記事ならともかく80にも及ぶのであれば、先に会話ページで調整した方が良かったのではないでしょうか。リバート(取り消し)は告知が出ることになり、心臓に悪かったりしますので……。--Assemblykinematics会話) 2019年10月6日 (日) 00:27 (UTC)
コメント なるほど。ご説明いただきありがとうございました。まず確かにリバートの大量告知が出るのは気分がいいものではないですね。会話ページで調整した方がよかったように思います。みしまるももさんにも会話ページの方でご無礼の段お詫びしておきたいと思います。なぜ旧植民地関係と日本関係で分ける考えをお持ちなのかは疑問でしたが、「日本史分野」というとことからでしょうか。先の合意事項の「本合意において、一切の表記統一は行わないこと、「大日本帝国」「日本」表記はいずれも不当なものではないこと、及びその他「日本国」「大日本国」等の表記についても用いられる余地があることを確認する。」は尊重されるべきという考えには私も賛成です。同様の合意がプロジェクト人物伝にあった方がいいということでしょうか。その場合も日本関係か植民地関係かなどの新たな規範を入れるよりは、先合意と同じくどちらも不当ではないので編集合戦防止のため先使用の国号をノートでの合意なく他方への変更はしないという方がいいように思えます(というかそうでないとまとまらないかと)。--Omaemona1982会話) 2019年10月6日 (日) 06:21 (UTC)
コメント 丁寧な返信ありがとうございます。リバートについてお詫びをしていただけるとのことで、ご理解いただき感謝申し上げます……。なお「旧植民地関係と日本関係を分ける考え」という点については下でまとめて説明したいと思います。--Assemblykinematics会話) 2019年10月6日 (日) 08:54 (UTC)
コメント 㭍月例祭さんやRabit gtiさんに同感です。またそもそも「大日本帝国」を時代区分のように扱うには範囲が曖昧に思われます。たとえば「大日本帝国」の項目の過去議論では「大日本帝国」のテンプレを「建国1868年亡国1947年」に編集した行為について根拠がないとして削除され、現行の明治5年太政官布告を根拠にした建国紀元前660年2月11日、亡国は記述しないというスタイルになった経緯もあるなど、いつからいつまでを指すのか人によって食い違っているように思われます。--Omaemona1982会話) 2019年10月5日 (土) 20:01 (UTC)
コメント (上のコメントとも重複しますが)現状では「Template国名3レターコード」の{{JPN1889}}の備考欄に「1889-1947」と適用年が明記されています。大日本帝国憲法を基準にしたものと思われますが、これは台湾割譲(1895年)、韓国併合(1910年-1945年)、台湾光復(1945年)を含みます。旧植民地に関係して使用される場合、あまり混乱はないような気がしています。--Assemblykinematics会話) 2019年10月6日 (日) 00:27 (UTC)
コメント {{JPN1889}}の作成自体が特に何らかの議論や合意のうえに作られたものではなく、2009年にTakelerさんの判断によって作られただけのようなので、どの程度根拠になりうるかは疑問があるように思えますが、しかしそもそも合意に関する限り、明治以降の日本については「日本」でも「大日本帝国」でも不当ではないとされているので「大日本帝国」の建国亡国年議論は関係ない論点ではありました。「大日本帝国」が時代区分として「分かりやすい」といえるかどうかは人それぞれではという程度の話でした。ところで、この{{JPN1889}}のテンプレにも「テンプレートの使用に関連する合意事項」として合意とのリンクが張られていたのですね。体感上このテンプレートを使用される方たちがあまり読んでおられない方が多いのが残念ですが。--Omaemona1982会話) 2019年10月6日 (日) 06:21 (UTC)
コメント柒月例祭さんへ) 国旗アイコンの是非は、映画や人物記事でも問題なく使用されており、文学者の記事でも国旗アイコンのことは全く論争にもなったことはありません。どこかではそういうことで揉めている記事もあるのかもしれませんが、少なくとも文学系ではその類の論争はないです。そして私が伺いたいことの本質は、日本史プロジェクトの合意の中の、ノートでの合意のない書き換えがあったら「リバート」してもよいという「規定」が、全Wikipedia内のどんな局面の言葉にも波及し、「リバート」が正当化されてしまうのか、という根本的な疑問についてのことです。今回の場合、三島由紀夫やその作品記事、蓮田善明などは、おもに私自身が立項・大幅加筆した記事ですが、そのテンプレ内のアイコンを、海外作家のドイツの旗 ドイツ帝国プロイセン王国の旗 プロイセン王国ロシア帝国の旗 ロシア帝国のような感じで、戦前か戦後か一目でわかる感じにしたいなと思い、自分が立項・大幅加筆した記事で途中から変えても「書き換え」と見なされてしまうのか、ということが聞きたいわけです。--みしまるもも会話) 2019年10月6日 (日) 01:39 (UTC)
コメント 旗使用についてのガイドラインとして、Wikipedia:アイコン があります。人物記事のインフォボックスにおいては Wikipedia:アイコン#インフォボックスにおける旗アイコンの扱いWikipedia:アイコン#人物伝における使用 が該当の項目になります。英語版ウィキペディアでは旗の使用を明確に禁止している一方、日本語版では使用を禁止しておりません。しかし、為政者などその時代の国家体制に大きく関連する人物を除いて、国号「日本」「大日本帝国」のどちらで記述するかや歴史的にどの旗を使うかで悩むくらいなら、いっそのこと「○○『帝国』や○○『王国』などの国号は記載しない、旗も記載しない」に統一したほうが良いと考えます。日本統治時代の朝鮮や台湾の人物につきましても、よほどの理由がない限りむやみに日本国旗を示して「日本統治時代ですよ」とアピールする必要もないでしょう。--茶でもすするか会話) 2019年10月6日 (日) 05:07 (UTC)
コメント 現時点では旗の使用が完全には禁止されておらず、多くの記事で使用されています。そのため現状に合わせて3レターコードについても話をしていますが、旗を使わない場合にも「日本」を使うか「大日本帝国」を使うかという論点は残ると思います。そして個人的には「不正確でなければどちらでもよい」という考えでしたし、懸案の合意事項も両方の使用を妨げないとありましたので、「大日本帝国」が使われても自然と思われるケースを例示させていただいた次第です。
なお、同じ土地に住んでいても年代によって国が異なる場合は人物記事全般であり得るため、人物記事全体の観点から大日本帝国時代の植民地について特に言及させていただきました。日本関係以外ですとユーゴスラビアセルビア関係やクリミア関係などです。あと自分は一応教育関係者でもあることから、その人物記事がどういう教育制度で育ったかというのは興味があるところで、そうするとどうしても国と切り離せません。旗の有無に関わらず、Infoboxを見て一目で概要を把握できれば……という考えでした。
自分の場合、Infoboxの使用例や現状の人物記事で使われているので旗アイコンを使っていただけで、みしまるもも様のように旗の使用にこだわっている訳ではありません。旗を使わない場合も踏まえて書かせていただいていましたが、ガイドライン「Wikipedia:アイコン#人物伝における使用」の内容は旗の有無に限らず検討すべきことかもしれません。そろそろInfoboxの説明文や使用例を考え直す時期なのかもしれませんね……(自分の場合は{{Infobox_Scientist}}におけるアルバート・アインシュタインの例をベースにしていましたので……)。--Assemblykinematics会話) 2019年10月6日 (日) 08:54 (UTC)
みしまるももさんへ) 「旗アイコンの使用の是非」はWikipedia:アイコンが一般規則です。ただしこの文書は2018年にガイドライン化されたばかりですから、現時点ではまだ多くの場所で未反映であるというのはしかたがないですよね。
WP:ICONでは「とにかく旗アイコンをはるな」というわけではなく、「合意形成」を要請していますから、個別の合意形成によって旗アイコンを設けることは可能です。ただその合意形成を「文学一般」で行うのか、「三島由紀夫」単独の記事として行うのか、ってのは考えどころですね・・・。
リバート云々については「旗アイコン」とは別の話です。旗をつけないとしても「日本」とするか「大日本帝国」とするかの問題は残るので。一般論として、理由があるならリバート1往復はいいのですが、そこから先は話し合いでしょう。
Assemblykinematicsさんがおっしゃていることにも関わるのですが、Infoboxというのはちょっと特殊な場所ですよね。「1944年ドイツ生まれアメリカ育ちのユダヤ人」みたいな場合にナチスの旗貼るのかってところはあります。「そろそろInfoboxの説明文や使用例を考え直す時期なのかも」というのはあると思います。ただ、分野などの特性に応じてInfoboxを多様化・細分化していく(たとえば「Infobox 1945年以降のドイツの文学者」とか)のか、メンテナンス性などを考えて統合し汎用化していくのか、意見は分かれるでしょうねえ。
ここからは個人的な感想です。先にも書いた通り、「大日本帝国」という語を使うのはいつも慎重にやるべき。なぜならうっかりすると政治や信条がらみの論争に巻き込まれるから。そこに突っ込んでいく覚悟があるならともかく、そうでないなら「君子危うきに近寄らず」て感じで。「日本」なら無難。ただ三島由紀夫ですからね、避けたくても避けられない問題というのはあるでしょう。--柒月例祭会話) 2019年10月10日 (木) 08:23 (UTC)

コメント 私がこの井戸端で伺いたかった事の本質としては、ある一つのNプロジェクト内で、「AとBどちらも正式な呼び名である。だからどちらを使用してもよいが、ノートでの合意なしにA→B、B→Aどちらかに書き換えられた場合すぐにリバートできる」といった主旨の規則が、そのNプロジェクト以外のあらゆる記事のどんな局面においても機械的に適用されてしまう強制力があるものなのか、ということが聞きたかったわけです。そして今回の場合、私が立項時にAとしていたものを私自身がBと変えたものが大半を占めていて、その後にどなたからの異論や疑問もなかったのですが、それも「ノートでの合意なしの書き換え」だと見なされ「違反行為」として有無を言わさぬリバート対象にされてしまうのかな、ということでした。

あと、A→B(日本→大日本帝国)の書き換えは比較的発見しやすいと思うのですが、逆のB→A(大日本帝国→日本)の発見は容易ではないのでは?とも思ったので、本当に公平にリバートが行なえる性質のものなのか、というそのプロジェクトの規則そのものへの曖昧さというか不確かさがあるように思えて、そうしたものをWikipediaの全記事対象にする意味があるのかなとふと思ったりしました。

今回の文学作品や人物のテンプレ内に関してはその作家や作品が生まれた時代の正式な呼称として分かりやすいかと思って付けたので、それをリバート対象の「違反」扱いにされて何の事前のお話合いもなく規則として正当化されたため戸惑ったわけです。でも、先日Omaemona1982さんから丁寧に謝罪していただき、皆さんからの様々な観点からのご意見も参考にし、特に私としても記事本文に関わる重大事項でもないので元に戻しませんが、そういうあるプロジェクト内での規定に基づいた「機械的な」リバート対象の範囲や方法がちょっと行き過ぎなのでは?と思ったのも事実でした。なので、この2種の言葉の件以外でもこれに類する機械的な取り締まりのようなものが発生しなければいいなと願います。--みしまるもも会話) 2019年10月11日 (金) 06:51 (UTC)

誤ったリンクの修正で悩んでいます、お知恵をお貸しください[編集]

現時点で「養賢堂」という記事ページは仙台藩の藩校として著名な明倫養賢堂(明倫館)へのリダイレクトとなっていますが、実は養賢堂という出版社[7]がありまして、wikipediaにおいてもそちらの出版物が参考文献として使われている記事が多数あり、現状それらの参考文献項からたくさんのリンクが無関係の藩校に向かってしまっています。本来なら出版社のほうを別途立項させて曖昧さ回避を用意すればいいのでしょうけど、その出版社に関する二次情報が少なすぎて記事が作れそうにありません。執筆依頼を出していいのかも迷う状態です(他力本願)

この場合どうするのが正しいのか、先達のご意見を賜りたく思う所存です。よろしくお願いいたします。--(あ)会話) 2019年10月5日 (土) 14:39 (UTC)

  • 出版社記事未作成(赤リンク)のまま、曖昧さ回避ページに変更しました。「明倫養賢堂 - 仙台藩藩校。」と「株式会社養賢堂 - 出版社。」の2項目ですが、実在する出版社であるという根拠として https://www.yokendo.com 宛の外部リンクを脚注形式で載せています。株式会社養賢堂が記事になるまではこのままで良いのではないでしょうか。--野良人会話履歴 2019年10月5日 (土) 15:30 (UTC)
    • おお、素早いご対応感謝します。ありがとうございました。--(あ)会話) 2019年10月6日 (日) 01:11 (UTC)
      • 横から失礼 横から失礼 議論が終わったところすみません、特別:リンク元/養賢堂を見れば分かる通り、養賢堂へのリンクが多数ありますがそのほとんどが正しくは明倫養賢堂へのリンクです。リンクの移動を手伝ってもらえませんでしょうか。--Tmv会話|投稿記録) 2019年10月6日 (日) 08:17 (UTC)
        • ちょ、ちょっと待ってください、Tmvさん少し手を止めてください。明倫養賢堂にリンク「すべきではないもの」までそちらにリンク修正しないでください。ほとんどの参考文献からのリンクは出版社のほうに向かうべきリンクですよ!--(あ)会話) 2019年10月6日 (日) 09:06 (UTC)

この手の 修正を 機械的に行うのは 危険ですよね--2001:268:C05E:815:8DE7:60F2:297E:7096 2019年10月6日 (日) 22:06 (UTC)

  • コメント すみません。仙台藩などの言葉があるかどうかを調べてやっているつもりでしたが、どこのページが出版社へのリンクでしたでしょうか。ページ名をお教え願います。--Tmv会話|投稿記録) 2019年10月7日 (月) 11:44 (UTC)
    • 具体的には篠遠喜人畑村洋太郎などで、いずれも参考文献節からのリンクが出版社向きのものです。藩校のほうにリンクが向かうべきものは、さきほどほとんどをリンクを修正させていただきました。いま養賢堂にリンクしているのものはいずれも参考文献としての出版物ですので、これらは現状修正しないほうがいいと思います(まだ出版社のほうの記事がないですし)。--(あ)会話) 2019年10月7日 (月) 14:26 (UTC)
      • 返信 ([[(あ)]]さん宛) 確かにそうですね。(あ)さん、迷惑をかけ、すみません。また、ありがとうございます。これからは気をつけていきたいと思います。--Tmv会話|投稿記録) 2019年10月12日 (土) 07:20 (UTC)

ORESフィルター[編集]

Wikipedia:お知らせ#Built-in edit filters for Japanese need testingでフィルター使って巡回してくれってありますが、「最近の更新」にはORESのフィルター(「編集の品質」と「利用者の意図」)ないですよね。なぜでしょうか?--Afaz会話) 2019年10月5日 (土) 17:02 (UTC)

変動 IP アドレスによる 会話ページのタイムラグについて

  1. IP アドレス123.456.789を 最初に割り当てられた利用者が 自身の会話ページに書き込む
  2. IP 変動により123.456.789が 使用されていない状態になる
  3. 他のユーザーにより123.456.789の 会話ページにコメントが書き込まれる
  4. 最初の利用者とは 無関係の 利用者が123.456.789を 割り当てられる
このような場合 二人目が割り当てられた瞬間( つまりは4番の 時点)、 あのオレンジ色の通知が出るのでしょうか?--2001:268:C0A0:9FF6:34B0:D4A0:E06:B24 2019年10月10日 (木) 05:54 (UTC)
  • 変動IPアドレスっぽいので ここで言いますが 井戸端 から 天気したなら ちゃんと 井戸端から誘導 テンプレート などを しておいてください--2001:268:C0A0:6D79:C6C:39C:77F2:4254 2019年10月11日 (金) 08:54 (UTC)

歴史に関する記事の出典に一般向けの出版物を使うことの是非[編集]

自分は戦国期の毛利氏を中心に書かせて頂くことが多いのですが、その際に一般の歴史解説本(学者ではなく作家などが書いた本など)を出典に使うことが多くあります。

この度、作家の書いた書籍はあくまでも読み物であり、参考書籍としては相応しくないとして出典が丸ごと削除されました。当該者の可変IPの方が私の会話ページにメッセージを寄せられたので、一般人向けの本が出典に相応しくないという根拠はWP:Vのどこにあるのかと尋ねたのですが、現時点で回答はありません。そのまま、別のページで同じことが繰り返されたので(ただし可変IP編集者なので同一人物ではない可能性もありますが)、問題があるならいきなり削除せずに「信頼性要検証」とするべきではと反論したところ、それ以降は出典除去はせずに信頼性要検証テンプレートを貼られるようになりました。ただ、研究書や論文を使用しないと真正性を担保できないので安っぽい俗書は使用しないでと主張して、記述の内容に関わらず「著者が作家(=学者では無い)の本」という理由で一律にテンプレートを貼っているように思われます(例1例2)。

つきましては、専門家以外が執筆した歴史本・歴史雑誌の記事などは、無条件に除去(ないし一律に信頼性要検証)を付されるものなのか(及び、その場合はガイドラインや方針のどの部分が根拠になるのか)をお尋ねさせてください。これまで私自身としては「専門家の出している著書がベストな出典」とは思いますが、「一般書も全否定されているわけではないので、(センセーショナルな主張やトンデモな論説で無ければ)WP:RSに普通程度の注意を払いつつベターな出典としては使える」というスタンスでした。--TT mk2会話) 2019年10月11日 (金) 12:55 (UTC)

  • コメント Wikipedia:信頼できる情報源#歴史Wikipedia:信頼できる情報源#優れた情報源を見つけるには、いくらか手間がいるかもしれない
  • 歴史の記事って本当に難しいですよね。私もいくつか書いてきましたが、最近では吾妻四郎助光
  • 調べれば調べるほど、最終的に「一次史料」にあたるほかなくなっていきます。
  • 作者が「専門家」であろうとなかろうと、原則的には「帰属化」しながら書くほかないなあ、と感じます。
  • お示しの例の場合、たとえば「毛利弘元と側室の相合大方の子として誕生」というのは、何を根拠に作者は断定しているのか、そこを追求したくなる。現代の人物ならともかく、江戸時代以前の人物の場合には、こうした記述(というか全部の記述)が、「ガチの史実」なのか「・・・と伝わる」という話なのか、あるいは「こうであろう」という推測なのか、注意深く取り扱う必要があります。
  • きちんとした専門家の著作ならば、「史料Aにこうあり、史料Bにこうあるので、こうだろうと推定できる」みたいに根拠が示されているものです。で、今の私だったら、そのことを記事にも書きます(本文に書くか、注釈とするかは全体を見渡しながら決めます)。
  • もしくは、歴史学者のMは『MX』のなかで「こうである」と推定している、みたいにする。Mについては、できる限り、「S大学教授(日本史)」のような肩書を添えて、その意見の専門性・信頼性を推定する手がかりも併記する。理想は、学者Nが「M教授がこう述べている」と二次言及しているのが望ましい。
  • あとは、「こういう話が通俗的によく知られている(史実とは言っていない)」のようなことをきちんと分離しながら書く。
  • ただ、こうした課程はすごく手間と時間がかかります。「専門家以外が執筆した」文献は、そうした課程をすっ飛ばして、あたかも史実であるかのように書かれていることがあり、イージーに「解答」が得られるので安易に飛びつきたくなるのですが、Wikipediaの記事づくりには取り扱い注意と思います。取っ掛かりとして参考にする程度にしておいて、堅い文献で裏を取りに行くというのが、あるべき態度と思います。--柒月例祭会話) 2019年10月11日 (金) 13:24 (UTC)
  • 柒月例祭さんが挙げているガイドラインに加えて、WP:V#何を信頼できる情報源とするか「一般的に良い情報源とされるのは、事実・法的解釈・証拠・主張などの点が専門家によって検証・分析されているものです(中略)とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます」というのがありますね。歴史分野では「学術的で査読を経た出版物」(例えば、『日本史研究』に載った論文)あるいは「特に主流の権威的出版物」(例えば、専門家が書いた岩波新書・中公新書)のみが出典として利用することが認められているものだと思います。また、例えば、WP:RS#事実「百科事典の場合では事実とは、その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述のことです」WP:RS#情報源学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。」いったあたりの文言でしょうか。
  • 新紀元社で吉田龍司さんがお書きになっている本は、「特に主流の権威的出版物」とも言えず、出典としては適切とは言えなさそうです。また、大抵の場合、探せばより良い出典が見つかると思います。一律に除去は乱暴かもしれませんがが、信頼性要検証の添付は問題ないと考えます(より良いのは専門家の書いた出典に置き換えて、記述に問題があれば修正していくことだとは思いますが。なお、似たような論点を[[Wikipedia:コメント依頼/おいしい豚肉]、利用者‐会話:Quark Logoとその関連ノートページで議論しています)。
  • 例えば作家の塩野七生さんの書かれた『ローマ人の物語』は非常に面白くて、私も大ファンなのですが、塩野さんが事実を書いていると主張しているのに反し、専門家の目から見ると非常に多くの誤りや根拠のない断定があるそうです(ローマ人の物語#批判)。作家の書いた書籍はウィキペディアの出典としては向かないと言えるでしょう。--伊佐坂安物会話/履歴) 2019年10月12日 (土) 02:01 (UTC)
返信 㭍月例祭さん・伊佐坂安物さん、ご丁寧な解説ありがとうございました。WP:RSWP:Vは一通り読んでいるわけですが、自分が出典として使った今回の吉田龍司氏の本は、㭍月例祭さんがご指摘されているのに近い「(史料)にはXXと記述してある」「従来はXXと言われてきたが、XX教授が唱えた新説が現在では主流となっている」という点もそれなりに解説されており、巻末の参考文献リストから一次資料(史料)などにもきちんと当たっていると思われたので、特別な主張のような類で無ければ「それ以外でも、大学レベルの教科書・権威のある出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは、信頼できる情報源です」の範疇に入ると考えた自分の認識が甘かったということですね。特に今回の発端となった相合元綱のページに関して言えば、もともとほぼ無出典だったので、私の手元にある本から出典をつけたところが全削除された(かと言って要出典テンプレが再掲されたり、ノートに意図が書かれていたわけではないです)わけで、無出典よりは一般書でも出典があるべきだろうというのが私の意図でした。
丁度、伊佐坂安物さんがプロジェクト:日本の戦国時代で「戦国時代関係の記事ですと、人物ですとか戦いとかはそれなりに充実していると思うのですが」と書いておられますが、それでも毛利・大内・尼子などの地方大名関係は記事が少なかったり内容が古かったりするので少しずつでも充実させたいと思ってきたのですが、当該のIP編集者さんからも研究者しか読まないような専門書や論文を読まない人は編集をすべきでは無いという趣旨の忠告も頂きましたので、一般書以上の出典を出せない私としては大変寂しいですが歴史分野での編集からは撤退になりますね。と言うことで、今後の歴史分野を執筆される方々のなお一層のご活躍を影ながら応援しております(そして、個人的には毛利・大内・尼子関係の記事の充実を大いに願っています。比較的メジャーな毛利元就毛利水軍の中にも色々と出典ゼロとかこれは怪しいと思う記述があるので今後執筆したかった項目もチラホラありますので・・・)。繰り返しになりますが、お二方様、どうもありがとうございました。--TT mk2会話) 2019年10月13日 (日) 16:50 (UTC)(入力ミスを加筆訂正--TT mk2会話) 2019年10月13日 (日) 16:55 (UTC))
返信 (TT mk2さん宛)  お返事いただきありがとうございます。ライターの書いた本ではなく、専門家の書いた一般書(例えば、岩波・中公などの新書)であれば、[[[WP:V]]]・WP:RS上基本的には使えますし、それほど値が張るものでもないのでそうしたものを利用して執筆していただけると嬉しいです。もちろん専門家の書いたものでも新書等ですと史料や先行研究などの根拠・判断過程が省かれていることがあり、微妙な面もあるのですが、一方で戦国時代(特に後期)の研究は専門家も一般書を媒体として議論してきたという経緯もあり(平井上総、2017、「織田信長研究の現在」、『歴史学研究』955号、青木書店)、専門書のなかで一般書を取り上げて反論するということもあります(池享「戦国・織豊期の武家・天皇関係を見る目―今谷明著『戦国大名と天皇』・『信長と天皇』を読む」『戦国・織豊期の武家と天皇』校倉書房、2003年)。特に伝記記事であれば、論文ベースで出典が得られないことも多く、専門家の手による一般書・伝記にある程度は依拠することになると思います。
例えば、吉川弘文館の出している人物叢書は「調査研究に役立つ正確な伝記叢書」([8])とされていて、しかも価格はせいぜい2000円強です。残念ながら毛利元就は人物叢書がないのですが、代わりに吉川弘文館から河合正治 『安芸毛利一族』、池享『知将・毛利元就―国人領主から戦国大名へ』新日本出版社、2009年、(ちょっと高いですが)ミネルヴァ日本評伝選岸田裕之『毛利元就』2014年等があります。直接『毛利元就』と銘打っていないものでも、専門家による一般書で出店となりうるものは他にも多数あると思います。
なお、研究書も近くの図書館で相互貸借を申し込めば無料で取り寄せられますし、論文も国会図書館の複写請求を使えば、一論文あたり数百円程度で入手できます。それほど物理的・金銭的ハードルは高くないという印象です。もっとも、私も最近は時間がなくてあまり書けてはいませんが……。--伊佐坂安物会話/履歴) 2019年10月14日 (月) 01:21 (UTC)
  • コメント 先にコメントされた、歴史に詳しいお二方にお叱りを受けるかもしれませんが、あえて単純化して言えば、ある書籍や雑誌記事が出典として信頼性が認められるか否かのポイントは、それが一般向けか専門家向けか、という点よりも、その資料の著者が誰か、という点の方が重要と考えられます。上で伊佐坂安物さんがコメントされているように、大学などに所属している(いた)その分野の研究者の著作物であれば、一般向けの新書などであっても「信頼できる情報源」として認められるでしょう。
さて、問題となっている吉田龍司氏ですが、どんな人物か不明だったので、Amazonで確かめたら、「経済紙の元記者で、経済、歴史、サブカル分野の本を多数執筆しているフリーライター」とのことでした。吉田氏には悪いけど、このプロフィールは「信頼性の認められない一般書の著者」の典型的なタイプです。歴史に限らずどの専門分野でも、このタイプの著者による著作物は基本的に「信頼できる情報源」とは認められません(サブカル系なら多少は認められるかも)。
たしかにフリーライターであっても、きちんと史料に当たって書いているのかもしれませんが、非専門家の問題点は、論文や史料などに書かれている文における、微妙な、しかし重大なニュアンスを読み取れない(もしくは気がつかない)、史料を読む時の注意点について詳しくない、などの点です。たとえば、一次資料に「ほにゃらら」と書いてあるからといって、それをそのまま表面的に解釈したら大間違いという場合も少なくありません。専門家なら、表面的にはそう書いてあるが実はこの文書にはこういう背景があってこういう事情があるからこれは「ほげほげ」と解釈すべきである、という理解が常識になっているかも知れません。歴史分野では特にそういうことは多いです。専門家が書く文章は、一見するとフリーライターの書いたものとさして変わらないようにも見えたとしても、そういった表面的には見えないような部分まで配慮されているものです。
で、
>専門家以外が執筆した歴史本・歴史雑誌の記事などは、無条件に除去(ないし一律に信頼性要検証)を付されるものなのか(及び、その場合はガイドラインや方針のどの部分が根拠になるのか<
というご質問に対する回答ですが、基本的にはやはり除去されるべきものでしょう。その根拠としては、WP:RS#偽の権威に注意にある「専門知識を有することが検証可能な人物によるものを情報源としてください。」あたりになるでしょうか。--Loasa会話) 2019年10月14日 (月) 14:30 (UTC)

書誌情報の出典についての質問です[編集]

ハケンアニメ!』の書誌情報を書いていて疑問を持ったので確認のため質問します。それは、書誌情報にISBNを書いたら、別途出典を記載する必要はないのではないかということです。というのは、ISBNを記載すると、外部の書誌情報へのリンクが貼られ、そのリンクにより内容を確認することができるからです。ハケンアニメ!の場合、書誌情報についてISBN以外の出典を記載しなかったのですが、これでよいのかという確認の質問です。もし、これでは不十分だということならどのようにすればよいかお書きください。--2001:268:C02C:7007:AC32:46FA:D5B1:27FA 2019年10月12日 (土) 17:07 (UTC)

Help:ISBNのリンクには、本を指定するのに ISBN 「だけ」を用いず、ISBN と共に適切な情報も記載して下さい。と記されています。なお、書籍の書誌情報を記すにはTemplate:Cite bookが利用可能です。このテンプレートは、書誌情報の必要記入事項を一通り揃えており、書誌情報を自動的に所定の書式で表示することが可能です。一般論として、書誌情報は他の文献と識別可能かつ特定可能な程度に詳しく記入すべきかと思います。ハケンアニメ!の場合、小説作品の記事であるため、書名、文庫本かどうか、出版社、出版年、ISBNの記載だけで各々の書籍を識別可能な現状なので、あの記載で十分だと思います。--Doraemonplus会話) 2019年10月13日 (日) 14:00 (UTC)

英語版からの翻訳記事作成の必要性について[編集]

先ほど、沖縄県の滝についてGOOGLEで検索していたところ、日本語版に記事のない事項について英語版を機械翻訳したものが表示されることに気づきました。具体的には「比地大滝」を検索したところ「英語から翻訳-」という注釈付きでen:Hiji Fallsを(たぶん)GOOGLE翻訳したものが表示されたのです。冒頭部が「日出の滝は」となっているなど機械翻訳特有の問題はあるようですが、一応読める文章になっていました。日本語版に記事がある事項についてウィキペディアの記事の一部が表示されることは以前より気が付いていましたが、このような形で英語版の記事が表示されるのに気づいたのは初めてです。GOOGLEのこの機能は最近できたものなのでしょうか。英語版からの翻訳については色々トラブルもあるようですし、GOOGLEにこのような機能があるのなら、英語版にはあるが日本語版にない記事を翻訳して作成する必要性がほとんどなくなるように思うのですが、どのように思われますか。--106.181.210.78 2019年10月13日 (日) 23:34 (UTC)(井戸端タグを指定しました--106.181.210.78 2019年10月13日 (日) 23:49 (UTC))

(補足の報告)GOOGLEで表示される文章はen:Hiji FallsをGOOGLE翻訳したものだと思っていたのですが、右クリックで翻訳して出来上がる文章とGOOGLEで表示される文章を比較すると、GOOGLEで表示される文章のほうが自然な感じの文章になっています。冒頭部を引用するとGOOGLEで表示される文章のほうが「日出の滝は国立公園であり、」となっているのに対して、右クリックで表示される文章は「日出の滝はある国立公園の島と県内で人気のある観光地、沖縄、日本。」となっています。GOOGLE翻訳には違いないのでしょうが、別の(改善された)翻訳アプリ(?)を使っているのかもしれません。--106.181.210.78 2019年10月13日 (日) 23:58 (UTC)

コメント googleの検索結果のナレッジパネルに日本語訳まで表示されるのは知りませんでした。できたのは最近みたいですね(参考:Google Knowledge Panels With Translation Feature)。たしかに検索者の利便性はあがりますが、それと「記事の翻訳の必要性がなくなる」とのつながりが理解できません。googleはwikipediaではないわけで、赤リンクが解消されるわけではありません。でも冒頭サマリーとはいえ、出典表記だけでccbyライセンス表示は不要なんですかね?(私はそっちの方が疑問)--115.38.235.23 2019年10月14日 (月) 02:16 (UTC)
コメント 誤解があるようですが、ウィキペディアはWikipediaの日本語訳版ではありません。最も歴史が長く、記事数も多い英語版から翻訳された記事もありますが、基本的には言語ごとに各記事の内容は独立しています。言語間リンクという技術的仕組みも用意されてはいますが、たとえばRatMouseに当たる日本語翻訳記事が本質的に作成不可能であるように、ある言葉が2言語間で1対1で対応しない例も結構あるのです。また、Yahoo!検索など他の検索エンジンでは表示されないことを考慮に入れても、Googleの日本語訳ナレッジパネルの存在を理由にウィキペディアで記事を作成しないでおくことは、検索エンジンとしてGoogle以外のものを利用する少なからぬ人たちにとって、ウィキペディアへのアクセス可能性が失われることを意味します。一部の外部サイト (Google) で英語版の翻訳(のほんのごく一部)が用意されていればそれで十分だと考えるのは不十分だと思います。ウィキペディアはGoogleが作る百科事典コンテンツではなく、ウィキペディアンが作るものです。それを忘れてはいけません。出典の明記による情報の信頼性確保の仕組みも、Wikipedia内部でこそ実現されるものです。したがって、件の「英語版にはあるが日本語版にない記事を翻訳して作成する必要性がほとんどなくなる」という説は、誤った認識から導き出された結論ではないかと愚考いたします。--Doraemonplus会話) 2019年10月14日 (月) 07:42 (UTC)
コメント 追記 一言で申し上げますと、英語版からの翻訳記事である必要性はないだろうということです。--Doraemonplus会話) 2019年10月14日 (月) 07:57 (UTC)

返信 (Doraemonplusさん宛) コメントをいただきありがとうございます。セクション名に「翻訳記事」と書いたために、誤解をまねいてしまったようですみません。別に、英語版の翻訳が唯一の方法だとおもっているわけではなく、英語版の翻訳以外の方法で記事を作成できることを知らないわけではありません。ただ、英語版は記事数も多いですし、対象にもよりますが内容も比較的充実しているので、新規の記事を作成するにあたって英語版の翻訳が有力な選択肢の一つだと思っているにすぎません。

そもそも、「比地大滝」をGOOGLE検索したのも、英語版(en:Hiji Falls)の内容とネット上で拾える情報を比較しようとしたもので、最初から翻訳がベストだと思っていればわざわざGOOGLE検索しません。

もう少しさかのぼって経緯を説明すると、テレビでマヤグスクの滝についてミニ番組が放送されていたので、Wikipedia日本語版を見ると記事がありませんでした。そこで、GOOGLE検索で情報を集めてたたき台を作り、Commonsに画像があるかなと思って調べてみたところ、「比地大滝」の英語版記事と実物の存在に気が付いたという流れです。

「大滝」というぐらいだから有名な滝なのだろうということで、ついでに、これの日本語版記事も作っておこうと思ってGOOGLE検索したところ、先に書いたような状況に気が付いたというわけです。

ご存じのことと思いますが、Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事というのがあります。これを見ていると、これらの記事(の日本語版)を作成する必要があるかなと思う(思うだけ)のでセクション名に必要性と書いたわけです。(もっとも比地大滝の記事は英語版だけにしかないので、この意味合いで作成する必要性があったわけではありません)

私は、全く日本語版に記事がないよりも簡略なものでも記事があった方がよいと考えている(いた)のですが、簡略な翻訳記事を嫌うベテラン利用者もおられるようで、簡略な翻訳記事を量産する利用者に対する投稿ブロック依頼を見たことがあります。最初に書いた「英語版からの翻訳については色々トラブルもある」にはそのようなものも含まれています。

以上のような事情なのでセクション名にある「必要性」というのはあくまで私の思う「必要性」であり、一般的な意味でとらえるとおかしいと思われることもあると思います。

--106.181.204.1 2019年10月16日 (水) 09:39 (UTC)(変動IPなので前回とIPが変わっています。)

こちらこそ、誤解してしまい、申し訳ないです。他言語版からの翻訳は、原文が用意されているので、何より手っ取り早いのと、出典に日本語文献を参照することが少ない分、日本語で作文するにあたって、引用の仕方次第で著作権違反になるリスクが低いというメリットもあるため、私もよく英語版からの翻訳記事を書きます。それでも、出来るなら日本に関係する事物に関する記事は、日本語の文献を集めてそれを出典にして、一から日本語で執筆する方が、日本語らしい日本語の文章・内容になっていいと思っています(翻訳記事はどうしても和訳調になり、また欧米的な観点に偏りがちです)。と言いつつ、先に英語版が充実していて土台として拝借したこともあります(例:新和英大辞典)。
WP:JAREQにも掲載されず、執筆依頼翻訳依頼もされていないが、多くの言語版にあって日本語版にない記事は山のようにあります。翻訳記事に限らず、スタブ記事の作成を嫌う方もいらっしゃいますが、私はIPさんと同様、(日本語版に)無いよりは有ったほうが良いと考えています。書くのは時間も労力もかかりますが、削除するのは一瞬です。実際、多くの記事はスタブから時間をかけて成長し、磨き上げられています。たしかに、草創期のウィキペディアと比べると、全体としての発展度に応じて、要求される記事の文章量はインフレ気味でしょうが、特筆性が十分にあって出典の整った記事であれば、初版の文章量はさほど気にすることではないと思います。気になったら、いつでも、だれでも、いくらでも書き直せるのが、Wikipediaの特長ですから。自分の得意とする分野の記事で「必要性」を感じたなら、批判を恐れることなく、筆を執りましょう…もとい、鍵盤を叩きましょう。応援しています。--Doraemonplus会話) 2019年10月16日 (水) 14:32 (UTC)

出典や地位を明記すべきではないか?[編集]

初めまして。僕は、一般人ですが、辞書をより手軽に、安く、質(内容)が高くした方がいいと思っております。 何か、調べものをしたいときや、物語などの作品や理論を構築する際、正確な知識は不可欠だと思いますので、知識の出処をきちんと明示すべきだと思います。 知識なので、参考文献やそのページ数、できれば、行を明記した方がより信頼性が高いのでいいと思います。 また、書いた人が専門家の場合は、ライセンスを明示すべきだと思います。 東大などの儒教教育者で学者なら、知識の精度はかなり高いと思いますが、私大の場合、口利きでなれてしまうので、ライセンスを明示した方がいいと思います。 --以上の署名の無いコメントは、218.225.226.90ノート履歴)さんが 2019-10-14T03:46:27 に投稿したものです。

218.225.226.90さん、あなたはそのためにどうすればいいと考えているのですか?--Tmv会話|投稿記録) 2019年10月14日 (月) 11:05 (UTC)
  • Wikipediaの記事では出典を明記することが原則です。ですからあなたのご意見の前半は既にWikipediaの原則方針になっています。原則通りになっていない記事が多い理由は、昔は、出典が付いていない記述でもあまりうるさいことを言わずに黙認されていたためです。今でもそれほど原則にがっちり対応しているわけではないですが、昔よりは無出典記載に対して厳しくなっています。例えば良質な記事とされる記事については、昔は内容が充実していれば出典がロクについていなくても良質な記事と認められましたが、現在では各記述に個別参照法で出典を明記している記事でなければ、選考にはまず通りません。
後半ですが、専門家のライセンスとは何のことでしょう。いわゆる肩書きのことでしょうか。大学教員の執筆者の中には、本名でアカウント名を取り、肩書きも公開(あるいはハンドルネームを使っているが利用者ページでほとんど公開している)方もおりますが。--Loasa会話) 2019年10月14日 (月) 11:35 (UTC)

参考文献について[編集]

請願権に詳細不明の参考文献があります。

  • 大統領『時代をひらく請願権運動』(1992年12月)
  • 大統領『請願権規定の存在意義』(2001年3月)
  • 大統領『請願権から見た憲法論』(2019年2月)

--NABAOI会話) 2019年10月14日 (月) 07:03 (UTC)

  • そういう問題点はここで議論するよりも、ノート:請願権で直接指摘されるか、またはその部分を加筆した執筆者のノートページで直接問い合わせた方がよいと思います。私としては、これらの記述は、書誌情報として意味がない上に、これらの書籍?が出典として本文から参照されているわけでもないので、ばっさり除去してしまっても構わないと思います。--Loasa会話) 2019年10月14日 (月) 10:55 (UTC)